10年前の今頃は、東北の地にて、同じように学園祭を理由に創りだされる、出会い
や経験の時間を満喫していたなぁ
っと3回くらい思いだしました大平です。
1番印象に残ったのは。
マイクからの声が少し聴き取り難かったけど。
トークの掛け合いがなかなか勉強になった
『お笑い芸人のステージ』ではなく。
今回知り合えた男連中が、全力から手抜きまで、様々なスタイルで笑わせてくれた『
男女装』ではなく。
最後の学園祭実行委員長−通称『くらけん』の男鳴きの挨拶でもなく。
ファイナルの花火でもなく。
はい
私が関わった学生さん達が素直だったこと
のような気がする。
お初の学生さんに会うたびに
「名前と声が一致しにくいので、まずは、自分の名前を言ってから話始めてくれると
嬉しいな」っていう事に皆、協力してくれたので。
学園祭を楽しめたんだろうと思います。
「今、俺が話をしている人、誰なんだろう?んー、今さら名前を訊きにくいぞ」
というような事は日常茶飯事。
特に、会話が決行進んでしまった時には、名前は訊きにくいですね。
私としても、なるべく、少ない回数で覚えれるように
『何て呼んだらいいですか?」
「出身はどこ?」などと会話を延ばして声を聴く時間を長くしたり、本人を印象付け
たり、名前の書き方を訊いてみたりとするのですが、いかんせん大平の能力にも限界
がぁ・・・。
あまり色んな事を訊きすぎると、不信に思われるかなってビビりながら。
普段、色々なところで、最初の1、2階は名前を言って下さる事に協力してくれても
、それ以降は言わなくなってしまうということが多いですね。
こちらも、「最初のウチだけは名前を言ってから話をしてほしいです」
という言葉も諦めてしまうのです。
しかし今回は、名寄大学の学生さん達は、寛大に、毎度、名を名のってから話かけて
くれました。
大平の説明が少しは上達したのかもしれませんが。
これって、見える見えない関係なしに、必要だと思うのです。
名前が思い出せずに、声をかけられなかったという事は、よくある話。
これは、お互いさまなので、名前を名のる回数が今より増えても、ちっとも違和感の
ない社会になれば良いのになっと思うのです。
名前が思い出せない、解らないっという、本当にちっちゃな理由で、出会いや交流が
減るなんて、なんてもったいない事だなぁっと思うのです。
今回の学園祭では、名前と、どういう人かっていう事が一致する知り合いが、たくさ
ん増えました。
本当に、ありがたいです。
改めまして
大平啓朗と書いて、おおひらひろあきと申します。
嫌でなければ、気軽に、お〜ちゃんと呼んで下さって大丈夫です。
それと印象に残った事が、もう1つ。
<エピソード>
大平は、外にある屋台群の中を学生さんと歩いていた。
「今回、シンポジウムで話をした人だと思うよ。『スパイス』の・・・」
っと後方から聴こえてきた。
そんな大平の頭の中は
「『スパイスさん』っとか陰で言われたらウケると自意識過剰に。
<写心説明>
1枚目:普段は、『音』と『光』に時間差があるため、あまり撮らない花火
比較的近かったので、学生さん達の歓声も手伝いシャッターをきることに。
2枚目:健やかな男泣き後の学園祭実行委員長−『くらけん』と方をくんで。
3枚目:「後は、片付けと来年に繋げようぜ〜」のタイミング
大学本館ロビー近くにて、10人くらい?で
「おーつかれさーん」の達成感の中に混ざっている。